FC2ブログ
2011-09-11

半年

こんにちは。
ぴよこ太郎です。
 
 
あの日から半年。
 
 
私は津波被害を受けたわけではありませんが、あの日からの2週間は生活するだけで精一杯でした。
 
それはよく聞くと思うんだけど、どんな生活を送っていたのか?
 
 
これは津波被害を受けなかったからこそ何処の地域でも起こり得る被害地域の話です。
 
 
◇◆◇
 
ライフラインが全てストップする…。
 
そうなって初めて事の重大さに気付きました。
 
 
わが家の調理器具はガスボンベを使用する魚焼き器1台とストーブ1台のみ。
 
 
なので、ご飯は土鍋と魚焼き器で炊き、おかずはストーブで作る。
 
夜にご飯を炊き、余ったご飯は次の日の昼用にオニギリにして、朝は夜に使った土鍋に水を入れてお粥(ほぼ重湯…)にする。
 
これが基本でした。
 
 
そして朝にお粥を食べて、午前中は近くの店…遠くても自転車で行ける場所には行き、ガスボンベと野菜ジュースを中心に買い物をしていました。
 
が、実際は買い物に行っても個数限定や買いたい物が無いので手ぶらで帰るのがほとんどでしたが。
 
あと、わが家は保存食(缶詰めやフリカケ・海苔や梅干…保存食?)が結構あったので、買い物っつ~買い物はしなくても良かったのです。
野菜以外は…
 
 
 
買い物が済んだら、排水用の水汲みに近くの沢を何回か往復。
 
うちは衣装ケース大サイズに沢水を溜めていたので、ケースが一杯になるまで往復しました。
 
 
オニギリを食べたら自転車にペットボトルをくくりつけて、近くの小学校まで飲料水を汲みに行きに。
 
が。
 
家族4人が生活するには最低2回は汲みに行かなくてはなりません。
 
 
 
水汲みが終わったら休む間もなく夜ご飯の準備をします。
 
ガスボンベ1台とストーブのみでは、作るのに時間がかかるのです。
 
 
…それと茶碗を洗う水が勿体無いので、銀紙やラップを皿や茶碗に巻くのに思ったよりも時間がかかりました…。
 
 
母が仕事を休めなかった為、父姉と私で日中の仕事を手分けしていました。
 
 
水が出るまでの2週間は、毎日がそんな生活でした。
 
 
 
 
また。
水が出ないので洗濯も出来ません。
 
なので…実は10日間着替えはしませんでした。
 
それと余震が酷かったので、いつでも外に出れるように寝る時もそのまま寝てました。
 
 
あと、水が貴重だったので、あの2週間は体を拭く事もしませんでした。
(私と父は12日目に近くの温泉でお風呂を頂きましたが)
 
水が出てからも、ガスは使えなかったし、お湯を沸かす燃料も限られていたので、お風呂の代わりに3日に1回だけ体を拭いてました。
(後半は週一で温泉に行けましたし…)
 
 
 
 
あの時は、みんなそんな生活でした。
 
ただ生活するのに必死でした。
 
 
 
 
ラジオしか情報源がなく、携帯は常に圏外。
 
携帯は夜明け頃に繋がるか繋がらないか…でした。
(日中は無理だった…)
 
 
 
 
 
津波被害が無かった地域でも、あの2週間は本当にツラかったのですが…
 
 
同じ時に沿岸部では、家を流され大事な人を亡くされた方がたくさんいました。
日がたつにつれ、私達が過ごした日々とはかけ離れた…壮絶な日々を過ごした方がたくさんいらっしゃいました。
 
 
 
津波被害にあわれた方は、私が過ごした最初の2週間がいまだに続いている方がほとんどです。
 
いつもとに戻るのかわからない日々。
 
それは本当に辛い日々なのだと思います。
 
 
 
 
だからこそ。
 
私達はあの日々を忘れてはいけない。
 
 
 
常に被災地の事を覚えていてほしいわけでも、気に止めてほしいわけでもありません。
 
 
ただ、今回の地震でおきた事は今後どこの地域でも起こり得る事なのです。
 
 
 
もし、あんな震災がまたおきたら。
 
もし、ライフラインが使えなくなったら。
 
もし、家族と離れてしまったら。
 
 
 
 
あなたならどうしますか?
 
 
 
この『もし』がこない事を願いますが、万が一の『もし』について考えてみてください。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ぴよこ太郎

Author:ぴよこ太郎
本職は某設備管理で現場作業に従事ています。
休みの日は『ぴよこ堂』の屋号でぴよこ太郎って名乗って帽子を作っていたんだけど、色々あって製作は停止中。

かわりに?ロードバイク始めます!

そんなバタバタな日々のぐうたら日記です。

リンク
最新コメント
カテゴリ
アクセス
今までに来てくれた方々
ランキング
よろしければ、1ポチ 
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる